知っているようで意外と知られていないフィリピンの国旗。その意味と現在のデザインになるまでの歴史を探ります。
目次
フィリピン国旗の意味
まず、こちらが現在のフィリピンの国旗です。
黄色い太陽、星、そしてビビットな青色、赤色、白色が特徴的ですね。
太陽から出ている8本の太陽光線は、スペイン植民地時代に最初に政府に反抗した8つの州(マニラ・カビテ・バタンガス・ブラカン・ラグナ・パンパンガ・タラク・ヌエバエシジャ)を、その周りの3つの星はフィリピンの主な島であるルソン・ビサヤ・ミンダナオを表しています。
そして国旗のメインカラーはそれぞれ
- 白→平等・友愛
- 青→平和・真実・正義
- 赤→愛国心・勇気
を意味しています。時代を経てこの意味は変化し、現在は上記の意味が公式に認められています。
(出典:Origin of the Symbols of our National Flag)
現在のデザインになるまで
世界の国旗を見ていると、中には似たデザインを持つものがありますよね。フィリピンの国旗はキューバ国旗とそのデザインが似ています。
フィリピンとキューバの共通点、それはどちらもかつてスペインの植民地であったということです。19世紀のフィリピン独立革命はキューバの独立運動に触発されたものであると言われています。
そして最初のフィリピンの国旗が使われたのも、この独立革命時でした。ここから現在のデザインになるでどのような歴史背景があるのでしょうか。
1898-1901年
1898年はスペイン=アメリカ戦争が勃発した年。この際アメリカは、当時スペイン植民地であったフィリピンの独立援助を持ちかけ、当時既に独立革命に尽力していたアギナルドが、独立宣言とともに亡命先の香港から帰国する際に初めの国旗を持ち込みます。
現在のデザインと大きな違いはありませんが、赤い線と青い線が入れ替わっているのが注目すべき点です。赤い線が上になっていることは現在戦争中であることを意味しています。
スペイン=アメリカ戦争はアメリカの勝利に終わりましたが、アメリカはフィリピンの独立を認めませんでした。これに対してアギナルドらは再び立ち上がりますがアギナルドは捕らえられ、アメリカの支配下に置かれた政府が設立されます。これと同時に国旗も平和を表す青い線が上のものに変えられました。
1901-1907年
この6年の間に独立への願いから、フィリピン国旗やスペイン独立時から存在していた秘密結社カティプナン旗が激増します。これに応じて政府はフィリピン国旗の代わりにアメリカ国旗を公式のもの認定し、フィリピン国旗だけでなく国歌も禁止しました。
1919-1941年
1919年、ついにフィリピン国旗の掲揚が許可され、公式なものとして認められました。この際デザインが少し変えられ、現在のものと近くなります。
1936年には当時のケソン大統領により、白い部分が正三角形・旗全体の寸法が1:2に決められ、太平洋戦争が始まるまで使われました。
1941-1985年
戦争開始から終戦まで、大統領は国旗の赤い線が上になるよう国民に指示します。またこの間に国内に日本の支援のもとフィリピン第二政府が誕生し、こちらはアギナルドが最初に使い始めたものを国旗と定めて使用しました(1943−1944年)。
1985−1986年
この間、国旗に使われている青色が度々変化します。一時は写真のような水色が採択された時がありましたが、あまり人気がなく1年ほどで濃い青色に変更されます。そしてこの時の大統領であったアキノ氏の任期期間中にアメリカ軍はフィリピンから撤退し、それまでフィリピン国旗とともに掲げられていたアメリカ国旗も排除されました。
1986–現在
その後、青色もネイビーブルーからロイヤルブルーに変更された国旗が現在まで使われています。
他国の国旗が使われていたのも含めると19世紀後半から12回も国旗が変わっているフィリピン。これだけを見てもこの国が独自の複雑な歴史をたどって来たことがわかります。
フィリピン人の愛国心の象徴としての国旗
愛国心の強い国としても知られるフィリピン。学校では朝、国旗掲揚が行われます。
タランバン小学校では毎週月曜日に国旗掲揚が行われます。
国旗掲揚とともに先生の指揮に合わせて国歌斉唱も行われます。朝早くから行われているのにもかかわらず、子どもたちはしっかりと胸に手を当て歌っていました。子どもの頃からこういった慣習があるのもこの国の愛国心が強い理由の一つなのかもしれません。