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NPO法人設立5周年:理事長 内山順子の想い

NPO法人設立5周年:理事長 内山順子の想い
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皆様のお陰様で、NPO法人DAREDEMO HEROが5周年を迎えることができました。まさにジェットコースターのようなこの5年を振り返り、さらに次の5年にかける想いをまとめました。

波乱のスタート

2019年、NPO法人DAREDEMO HEROを設立した当時、それは決して華々しいスタートではなく、まさに波乱のスタートでした。

現在NPO法人DAREDEMO HEROのカウンターパートとなっている現地法人DAREDEMO HERO INC.は、2013年に創設者により25人の奨学生の支援からスタートしました。同年11月に発災したスーパー台風ヨランダをきっかけに私はこの団体と出会うことができました。これまでに数多くの国際NGOに関わり、その活動に触れる中で、私の中に常に大きな葛藤がありました。

子どもたちに夢や希望を与えるだけ与えて、その夢を実現できるまでの支援をしないことは、本当に正しい支援なのだろうか?

「子どもたちの夢を実現するまで支援する」というDAREDEMO HEROの理念は、まさに私の求めていた支援の形でした。

「人生一度きり、やりたいことをやって、生きたい場所で生きる」
「せっかくこの世に生まれることができたのだから、最大限のパフォーマンスがしたい」
「クリエイティブに人の人生に関わっていきたい」

そんなことを常々思っていた私は、日本での公務員という職を捨て、セブへの移住を決めました。2014年からボランティアとして団体の活動に加わり、子どもたちの現状や想いに触れるにつれ、彼らの夢を最後まで実現させたいという思いが強くなりました。

当時の詳細は「こちら」をご覧ください。

ちなみに、当時は昼は団体の活動のサポートをし、夜はオンライン英会話学校などで時給250円程度でアルバイトをするダブルワークを続けていました。そんな生活を5年間続けることができたのも、私を支えてくれた家族や仲間の存在と、親から頂いた丈夫な身体があったからこそのことだと感謝しています。

2018年に創設者が日本への帰国することとなり、いちボランティアとして団体に関わってきた私が突然、団体の代表となり運営を行うことになりました。福祉畑の私は、組織運営や経営に関する知識も経験もありませんでした。あるのは「夢の実現まで支援するという、子どもたちとの約束を果たしたい」という想いだけでした。

手探りで活動を続けていく中で、現地法人だけでの運営に限界を感じ、2019年にNPO法人DAREDEMO HEROを日本に立ち上げ、初代理事長に就任させていただきました。

突然のパンデミック、そしてロックダウン

突然の代表交換で、多くの方々にご迷惑とご心配をおかけしてしまい、残念ながらご支援の中止やツアーのキャンセル等が続きましたが、2020年ごろにどうにか立て直しができました。そんな矢先に世界中をパンデミックが襲いました。

フィリピンは世界でも最長、最強レベルのロックダウンを実施し、人々は「コロナで死ぬ前に飢えで死んでしまう」と訴えるような厳しい状況が続きました。子どもたちは、1年以上外出が禁止され、約2年半に渡り対面授業が禁止されました。当然、予定されていたスタディーツアーは全てキャンセルとなり、団体の収入は半減しました。

活動を縮小することも考えましたが、こんな時こそ「私たちにしかできないこと」があるはずだと信じ、動き続けました。個人として、セブ日本人会や有志の方々と連携し、飛行機の欠航により帰国難民となった旅行者や留学生のために飛行機をチャーターし、約1,600人の帰国をサポートしました。また、奨学生への支援だけでなく、感染拡大地区や最貧困地区への緊急支援を行い、この活動が現在の地域支援の前身となりました。

日本も大変な状況にあるにもかかわらず、温かいご支援を頂き、どうにか奨学生への支援と地域支援を継続することができました。

▶当時の支援活動の詳細は「こちら」をご覧ください。

自分の甘さがもたらした失敗

パンデミックから半年程度たち、支援物資を配布するだけの緊急支援の限界を感じるようになりました。そして、このままこの状況が続くのであれば、この状況でも貧困層が自分の力で生きていけるようにしなければならないという想いが強くなり、計画的な自立支援活動を始めようとしたとき、事件は起こりました。

創設時から一緒に活動を続け、奨学生や保護者からの信頼を集めていた現地スタッフによる資金の不正持出しが発生しました。組織運営や経営の知識がないまま、想いだけで突っ走ってしまった結果、銀行や支払いなどの業務を全て一人のスタッフに任せてしまった私の責任です。事態が発覚してすぐに、ご支援者様一人一人に謝罪と責任のお電話をさせて頂き、本当にありがたいことに、多くの的確なアドバイスや激励を頂き、私は立ち止まることなく進み続けることができました。

子どもたちへの支援は止めてはいけないと思い、施設内や自宅などあちこちから小銭をかき集めて、どうにか活動を続けました。この時に私を支えて下さった多くの方々には、いくら感謝してもしきれません。

現在、この件に関しては裁判を続けています。フィリピンで外国人が法廷で戦っても勝てる確率は非常に低いです。しかし、ご支援者様から頂いた大切なご寄付、「子どもたちの将来のために」と約束して貯めていたお金に対して、私は最後まで責任を持ちたいと考えています。これを教訓とし、現在は組織改革を行い、特にお金に関しては2度と同じようなことが起きない体制を整えています。

突然の事務所移転

中心となっていた一人のスタッフが、あらゆる資料や情報と共に突然いなくなり、その立て直しに必死だったとき突然、事務所の立て直しのために一時退去を命じられました。8年間住み続けた事務所には大量の荷物があり、それらをどこに運ぶか、今後の活動をどう続けていけばいいのか、まさに茫然とするしかない状態でした。

何とか仮事務所も見つかり、引っ越しを終えて活動を再開するも、まだまだ試練は続きました。

悲しい別れ

突然ですが、私は猫が大好きです。当時、事務所にも自宅にも数匹の猫がおり、大変な時も猫に癒されながら活動を続けていました。しかし、事務所の移転、さらに節約のために私自身も自宅を引っ越しせざるをえない状況で、愛猫たちに大きなストレスがかかってしまったようです。一匹が病院内で致死率の高い感染症にかかってしまい、それが5匹全員に感染してしまい、一気に全ての愛猫を失ってしまいました。

さらに、パンデミック中の緊急支援活動や突然の引っ越しなど、体力が必要な活動を常に支え続けてくれた、当時のドライバーがコロナに感染してしまい、ちょうどセブが深刻な医療崩壊を起こしている時だったため、治療を受けることもできずに、36歳の若さで他界してしまいました。いくらお金があってもコネがあっても、病院にすら行けない状況だったとはいえ、スタッフの命を守ることができなかったことは、今も深い後悔となって残っています。

とどめのスーパー台風

パンデミックによる様々な規制が緩和され、国境を越えた往来も少しずつ再開された2021年12月、セブ島をスーパー台風オデットが襲いました。日本ではほとんど報道されなかったため、あまり知られていませんが、セブでも歴史的な大災害で、私自身、自宅では1か月近く電気も水道も使えない生活が続きました。

私がセブに移住するきっかけとなったのも台風でした。そのため、フィリピンの台風支援に何が必要かは把握していました。台風がセブを通過した夜は、窓から離れて毛布をかぶり身を守りました。翌朝、すぐに近所の住人にお願いをして、団体車両に満タンのガソリンを入れ、スタッフに発電機とガソリンを入れる容器を購入してもらい、ATMで引き出せる現金を全て引き出しました。その後、奨学生と支援地区の安否確認を行いました。

案の定、その日の昼過ぎにはガソリンスタンドはポリタンクを抱えたバイクや車で5時間以上の長蛇の列、街から発電機は消え、ATMも8時間以上並んでお金がおろせないという状況が発生しました。自宅と事務所は停電のためインターネットも電話も使えない状況でしたが、セブの仲間に助けられ、セブの現状を日本に発信することができました。お陰様でご寄付が集まり、大規模な支援活動を実施することができました。

▶当時の支援活動の詳細は「こちら」をご覧ください。

新たな幕開け

たくさんの方々に支えられ、数多くの試練をどうにか乗り越えることができ、2022年からは飛躍の年となりました。奨学生の増員、3か所のラーニングセンターの開設、400世帯の自立支援など様々な活動を展開し、ありがたいことに社会貢献者表彰という名誉ある賞を頂くこともできました。そして何より、セブの人々が一番大変な時に、最前線で活動を続けた結果、地域や受益者からの信頼を得ることができました。

NPO法人DAREDEMO HEROの設立から5年間で、失ったものもたくさんあります。しかし、それ以上に経験と学び、そして人との繋がりを得ることができました。今、確信していることは「人生に意味のないことはない」ということです。さらに、自分がどれだけラッキーかということを痛感できる5年間でした。私には、どんなに厳しい状況でも動き続けられる体力と健康な身体があります。さらに、どんなに大変なことがあっても、常に周囲に支えてくれる人がいて、自分が実現したいことを形にしてくれる人たちがいます。

失ったものから「当たり前のことなど何もない」ということを、改めて学ばせていただきました。今、目の前にある全てのものへの感謝の気持ちを忘れずに、自分に与えられたラッキーを、自分だけのために使うのではなく、より多くの人々、物事に恩送りしていきたいと考えています

新たな仲間との出会い

団体設立から様々な試練が続き、私自身、眉間にしわを寄せて心に余裕を持てずにいました。しかし、少しずつ事態が好転していく中で、改めてなぜ自分の使命を想い出すことができました。そして、移住のきっかけとなった「笑顔と感謝」を忘れずに活動をし続けていく中で、素晴らしい出会いがいくつもありました。

大変な時期を支え続けてきてくれたご支援者様、その輪の広がりで新たにご支援を開始してくださったご支援者様。いつも明るく活動を支えてくれるスタッフ、志高いインターン、技術力の高いプロボノ・業務委託チーム、新たに出会ったたくさんの仲間やソウルメイトの方々。みんなと一緒であれば、越えられない壁はないと確信しています!

子どもたちの飛躍

嬉しいことに、ここ数年で奨学生の意識がさらに向上し、団体全体の絆も深まっています。貧困層の子どもたちには不可能とされていたことを、次々と実現してくれています。なかでも、2名の将来のパイロットの活躍は、多くの子どもたちに希望を与えてくれています。さらに5年ぶりの日本研修旅行も、今回日本に行けなかった奨学生のモチベーションアップにつながっています。

現在、奨学生同士が自分たちで週末の特別授業や様々なイベントを運営できるようになっています。さらに、奨学生がラーニングセンターの子どもたちの身近なロールモデルになっています。このように、着実に未来のリーダーが育っていることを身近で見ることができることに、幸せを感じています。

この先の5年にかける想い

今、私が一番にすべきことは、自分がいなくなっても支援を継続できるシステム作りです。もちろん私は、最後まで子どもたちの夢を支え続けたいと思っています。しかし、生身の人間である以上、いつ何時何が起こるか分かりません。個人の想いだけではなく、組織として子どもたちの未来を支えていかなければいけません。そのためにも、まずはセブの現状や団体の活動を、より多くの方々に知っていただく必要があります

これまでの5年間は、目に前の問題解決と、現地の活動に全力を注いできましたが、この先の5年は今後の団体の存続をかけ、組織強化に努めていく必要があります。それでも常に自分の幸せを大事にしていきたいと思っています。セブで10年という月日を過ごし、改めて思ったことは「自分が幸せでなければ、人を幸せにすることはできない」ということです。この活動を通じて、一緒に幸せになってくれる仲間を探すことが重要だと感じています。

全ての子どもたちが夢と希望を持ち
努力が正当に報われる社会を実現する

改めてこの目標の達成のために、国境や民族の垣根を越えて、みんなが幸せになれる社会を作っていきたいと思っています。そのために今の私にできることは、ここセブから笑顔と幸せの連鎖を生み出すことだと信じています。

今、同じ志を持った多くの方々に囲まれ、本当に幸せな毎日を過ごさせていただいております。この幸せの輪を、どんどん広げていくことが、子どもたちの明るい未来にも、より良い社会づくりにもつながっていくはずです。これからも5年間も、感謝の気持ちを第一に、人との繋がりを大事に邁進していきます!引き続き応援よろしくお願いします!

▶次の5年に向けた具体的な団体の計画は下記リンクよりご覧いただけます。

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