フィリピン人の90%以上が、キリスト教を進行していますが、ラマダン明けは祝日になります。
Eid ul-Adha
「Eid ul-Adha(イード・アル=フィト)」はラマダン明けの祝日です。ラマダンとはイスラム教徒が断食を行う約1カ月間のことで、この期間、日中の飲食を断ち、神の恵みに感謝します。しかし、この一か月間を振り返っても、周囲に断食をしている人は一人も見かけませんでした。
それもそのはず、フィリピン人は90%以上がキリスト教で、ラマダンを行うイスラム教徒は国民のたった5%しかいません。さらにその多くがミンダナオ島に集中しており、セブではイスラム教徒を見かけることはほとんどありません。
なぜ祝日?
5%のイスラム教徒のために、なぜフィリピンではこの日を祝日にしているのでしょうか?
実は1521年にマゼランがフィリピンに上陸する前は、フィリピンには多くのイスラム教徒いました。フィリピンもかつて日本と同様に八百万の神を信じる土着の信仰はありましたが記録に残る最古の宗教はイスラム教です。さらに1450年代にはスールー大国、1600年代にはマギンダナオ大国とフィリピンにはイスラム教の小国が存在しました。そのため、イスラム教徒への配慮が残っています。
もう一つの理由としては、フィリピン人は敬虔なカトリックでありながらも宗教に関しては非常に寛容です。私自身も無信仰で強いて言うなら仏教徒ですが、信仰心の強いフィリピン人に改宗を勧められたことは一度もありません。自己を尊重し、他者も尊重する国民性がこの祝日にも表れているのかもしれません。
フィリピン人の宗教観
キリスト教、イスラム教に関わらず、フィリピン人はとても信仰心が強い国民です。いい面悪い面の両方はありますが、フィリピン人と接していると
- 与えられたものへの感謝
- どうにもならないものへの諦め
このふたつを強く感じます。
日本であれば、家族でおいしいご飯が食べられることが当たり前で、毎回そのことに感謝をすることを忘れてしまいがちです。しかし、フィリピン人は食事の際に目の前にある食事、家族と共に過ごせる時間に対して毎回感謝の祈りを捧げます。
逆に満足なご飯が食卓に並ばなかったときでさえも、目の前にあるものに感謝し、家族が共に過ごせることに感謝します。日本人であれば「なんでこんな質素な食事しかないんだ!」と憤りを感じる場面でさえも、与えられたものに感謝できるのがフィリピン人です。
世の中にはどうにもならないことがたくさんあります。そこに向かって戦い続けることは決して悪いことではありません。しかし本当につらい時、その状況を受け入れることも自分を守るために必要なことです。
長年の占領、侵略、改宗を経て、今貧困という問題を抱えたフィリピン人は、自分ではどうしようもない問題を多く抱えてきました。そんなフィリピン人が毎日幸せに笑顔で過ごすためには、違いを認め、相手を尊重し、今ある環境に感謝する気持ちを持ち続ける必要があったのだと思います。
少数派のイスラム教徒のイード・アル=フィトを祝うフィリピン人の姿から、そんなことを学びました。