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ODA(政府開発援助)はバラマキなのか?

ODA(政府開発援助)はバラマキなのか?
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2023年11月3日、岸田首相がフィリピンを訪問し、マルコス大統領との首脳会談を行いました。日本は80年代から一貫してフィリピンに対する最大の援助国であり、2023年3月にマルコス大統領が来日した際も、フィリピンのインフラ整備などへ6000億円の支援をすると表明しています。

これらの海外支援に対して、バラマキという厳しい声が聞こえる中で、支援を受ける国に住む日本人の一人として、現地で活動する日系NGO職員として、私見をまとめてみました。

フィリピンと日本の歴史

日本のフィリピンに対するODAを考えるには、日比の歴史を理解する必要があります。親日→対日→親日となった経緯を簡単に年表にまとめてみました。

対日感情の高まり

日比交流の歴史は長く、豊臣秀吉の時代から始まります。そこから太平洋戦争が勃発し、日本軍がフィリピンを占領するまで、長年に渡り友好な関係が続いていました。しかし、太平洋戦争下で、バターン死の行進をはじめとする日本軍が行った多くの残忍な行為により、一気に対日感情が高まりました。

Photo by Getty Images

そもそもフィリピンは1529年から300年以上、スペインの植民地でした。

1898年、アメリカとスペインの戦いである米西戦争が勃発し、その際アメリカの見方をすれば、スペインからの独立を手助けするというアメリカの約束を信じ、フィリピンはアメリカと共に戦い、見事勝利します。そして同年6月12日フィリピンは独立を宣言するものの、同年12月パリ講和条約で、スペインはアメリカにフィリピンの領有権を約2000万ドルで譲渡したのです。独立が叶ったと思ったのもつかの間、アメリカの支配下となったフィリピンはさすがに反発し、米比戦争が起こりますが、アメリカが圧倒的勝利を果たし、1901年にフィリピンはアメリカの植民地となりました。その後、1934年フィリピン独立法が可決し、10年後の独立が約束されていました。

フィリピン独立の歴史の詳細は「フィリピン独立記念日」をご覧ください。

長年、他国の統治下におかれていたフィリピン人にとって、独立こそが悲願であり、その実現が目の前にあった1941年に突如日本軍が侵略をはじめ、フィリピンを占領してしまったのです。その方法も物資が不足し、ゲリラ化した日本軍が一般市民であるフィリピン人を巻き込む悲惨なものであり、反日感情を持たれて致し方ない状況でした。

断ち切られた憎しみの連鎖

太平洋戦争終戦後、捕虜の虐待などに関わったとされた、日本兵212名に対して軍事裁判が行われました。いわゆるBC級戦犯の裁判です。結果、山下陸軍大将をはじめとする177名が有罪となり、うち17名の死刑が執行されました。

しかし、終戦8年後に108人(うち死刑囚56名)に対して、当時のフィリピン大統領であるエルピディオ・キリノ氏が恩赦を出し、日本に帰国を果たしています。キリノ大統領は、マニラ市街戦で妻と長女、三女、次男を日本軍に殺害されており、日本軍に対する憎しみは誰よりも強かったはずです。

日本兵によって殺害されたキリノ大統領の家族

そんなキリノ大統領が「戦争被害者である私自身が彼らを許すことにより、国民が将来の友人となるかもしれない人々への憎しみを断ち切り、我が国の永続的な利益となることを願った」と述べ、多くの元日本兵の命を救ったことは、日比の歴史の中で決して忘れてはいけないことです。

2016年に天皇、皇后両陛下がフィリピンに慰霊の旅に訪れた際に、キリノ氏の孫と面会し、「決してキリノ大統領がなさったことを忘れません」と話されています。

※キリノ大統領の恩赦に関しては様々な説がありますが、結果的に日本兵の命を救い、憎しみの連鎖を断ち切ってくれたことは間違いない歴史上の事実です。

8億ドルの戦後賠償

日本は、1956年日比賠償協定でフィリピンに対して純賠償5億5,000万ドル(資本財5億ドル、役務3,000万ドル、現金2,000万ドル相当額のペソ貨)及び経済開発のための借款供与2億5,000万ドル、総額8億ドルの戦後賠償に対して調印をしました。日本のODAは、この戦後賠償から始まっています。

当時の日本政府が、国内の経済復興のためにフィリピンを東南アジア市場進出の足場にする必要性があると判断して、アジア5ヵ国の中で最高額の賠償要求額を受け入れたとも言われています。この考え方はODAにも反映されており、その後に続くODAが日本企業の海外事業展開に大きく貢献しました。

日比友好の歩み

2015年のクロス・マーケティングによる調査では、フィリピン人の対日本好意度は95%で、ASEANトップとなっています。悲劇的な歴史と、強い対日感情からどのようにしてフィリピンは親日国へと変化していったのでしょうか?

日本人学生を温かく迎える現地高校生

日本の技術力

同調査によってフィリピン人の82.0%が、日本に対するイメージで「技術力がある」と答えています。これはまさに戦後から日本が行ってきたODA事業が高く評価されている現れです。特に橋やダムの建設においては、他国のODA事業に比べても現地のニーズに沿った、経年劣化が少なく質の高い事業が実施されてきた。近年ではマニラ首都圏をはじめとする地下鉄や鉄道事業も高い評価を受けている。

セブ島とマクタン島を結ぶ橋には日本の国旗が掲げられています

地域と共に成長する日系企業

2019年外務省の調べによると、フィリピンに進出している日系企業は1,356社にのぼります。大小様々な企業がありますが、セブで有名な日系企業のひとつである常石造船を例に挙げれば、現地採用数は10,000人を超え、工場のある地域では教育や医療など様々な地域貢献活動を行っています。

フィリピンは6か月の試用期間が認められており、なかには職員の正規採用を避けるために6か月で人を入れ替え続ける企業もあります。それに比べて日系の企業は長く勤められる、フィリピンの文化を尊重してくれる、家族を大切にしてくれるなど、とてもいいイメージを持たれています。

ODA支援では日系企業の海外進出も支援しており、それによりフィリピンの雇用が生まれ、地域が活性化にもつながっています。

多くの雇用を生み出す現地企業 写真:The Freeman

80団体を超える日系NGOの存在

フィリピンは、日系NGOが世界でも最も多く活動している地域とされています。その数は、2019年JICAフィリピンNGOダイレクトリーに掲載されているだけでも54団体あり、当団体のように活動は行っていても掲載されていない団体を含めると80団体を超えると言われています。

それぞれの団体が地域の人々の抱える課題に寄り添い、解決に向けて活動を継続しています。これらの活動によって、現地の人々の親日感情をより強いものにしています。これらの日系NGOの中には、日本NGO連携無償資金協力や草の根技術協力事業など、日本政府からの助成を受けて活動している団体も少なくありません。

NGO-JICAジャパンデスク フィリピンNGOダイレクトリー 2019

サブカルチャー(OTAKU・KAWAII文化)の浸透

今、フィリピンの若者にとって、日本はかつての対戦国ではなく、アニメや漫画に代表されるサブカルチャーのイメージが強く、多くの若者が憧れの気持ちを抱いています。街中ではアニメのキャラクターや日本の漢字が書かれたグッズを良く目にします。また、ラーメンや抹茶デザートなどの日本食も大人気です。

こうして日本の文化が受け入れられ、愛されるようになったのも、ODAをはじめとする様々な活動があってこそのことだと思っています。

セブ日本人会主催盆踊り大会・コスプレコンテスト
セブ日本人会主催盆踊り大会・盆踊り

日系NGOとしての役割

異国の地であるフィリピンで活動をさせて頂いている、多くの日系NGO団体のひとつとして、私たちが担うべく役割は何なのか、常に考えています。

  • 日比の歴史を正しく理解すること
  • フィリピンの文化を正しく理解すること
  • フィリピンの歴史や文化を日本人に正しく伝えること
  • 日本とフィリピンが共に成長できる方法を実現すること
  • 日本とフィリピンの架け橋となること

政府にしかできないこと、政府だからこそできることはたくさんあります。同時にNGOにしかできないこと、NGOだからこそできることがあると私は信じています。そして、その両者がうまく連携を果たしたとき、さらなる力が発揮されます。それが果たせたとき、支援を受けているフィリピンの利益だけにとどまらず、日本にも様々な形での還元がもたらされるはずです。

日本からの貴重な支援が「バラマキ」と言われないよう、支援という「お金」に「心」をのせることができるのも、現地に根付いて活動するNGOにこそできる役割だと信じています。

未来のフィリピン

現在、フィリピンの人口は1億人を超えており、平均年齢は24歳です。2054年まで人口は伸びつづけると言われており、2億人国家になることは間違いありません。世界の2億人国家はアメリカ、中国、インド、インドネシアだけで、フィリピンがいかに勢いのある国かが分かると思います。

また、公用語が英語のため、ビジネスレベルの英語人口は世界的に見ても上位にランクインしています。すなわち、今後フィリピン人は日本をはじめとする世界で活躍するチャンスが非常に高いということです。

とはいえ、フィリピンはまだまだ貧困という大きな課題を抱えています。これからもDAREDEMO HEROは日系NGOとして、フィリピンの社会問題を解決できる未来のリーダーを作り上げ、将来的には日本とフィリピンが共に支えあい、高めあえる存在になれるよう、活動を続けていきます。

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