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フィリピン独立記念日

フィリピン独立記念日
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6月12日は、フィリピン独立記念日です。400年以上他国の支配下にあったフィリピンが独立を果たすまでの歴史をご紹介します。

フィリピン史は先スペイン期、スペイン植民地時代(1565年-1898年)、アメリカ合衆国植民地時代(1898年-1946年)、独立以後の時代(1946年-現在)に大別されます。それ以前にもフィリピンには長い歴史があるのですが、現存する記録が非常に少なく「フィリピンにはスペイン時代以前に誇るべき歴史が無い」とさえ言う人もいます。

スペインによる植民地支配

今回は、スペイン植民地時代からの歴史をご紹介します。この時期に欠かせない登場人物が2人います。マゼランとラプラプです。セブの観光をする際に、この2人の関係、歴史を知ることが重要なポイントになります。

マゼラン 
ラプラプ

世界一周していない!?フェルディナンド・マゼラン

マゼラン率いるスペイン船団は1521年にフィリピンに上陸しました。マゼラン一行は武力を用いて、現地の部族長たちに対してスペイン王への服属とキリスト教への改宗を要求していきました。セブ王はこの改宗に応じ、女王と共に洗礼を受けました。その際にマゼランから送られた人形が、今もビサヤ地区で信仰を集めるサントニーニョです。そして、洗礼の際に使われた十字架がマゼランクロスです。

サントニーニョ
マゼランクロス

地元の英雄!ラプ=ラプ

周囲が次々と改宗していく中、断固イスラム教を貫き通したのが、マクタン島の部族長ラプ=ラプ王でした。マゼランはラプ=ラプを倒すために、1521年4月27日マクタン島に攻め込みます。しかしラプ=ラプの戦法に敗れ、その地で命を落とすことになりました。

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日本人には馴染みのない人物ですが、この時期さらに3人の重要人物が登場します。

植民基地を作った、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ

レガスピは、1565年にフィリピン諸島を征服し初代フィリピン総督となり、植民地としての基盤を作りました。セブ市内で観光地として知られるサン・ペドロ要塞を建設したのがレガスピです。この時代から、スペインによる本格的な統治が始まりました。

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フィリピンの英雄!ホセ・リサール

1880年代~90年代にかけて、フィリピンの独立運動が始まります。この時期に最も活躍したのが、ホセ・リサールです。語学堪能、知識豊富な彼の発言は影響力が強く、それを恐れた政府により35歳の若さで銃殺されています。しかし、独立に大きく寄与した彼は、現在もフィリピンNo,1のヒーローです。
ホセ・リサールは日本にも留学しており、「おせいさん」こと臼井勢似子さんとの恋愛は、フィリピン人の中でも語り継がれています。

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フィリピン初代大統領!エミリオ・アギナルド・イ・ファミイ

1898年、アメリカとスペインの戦いである米西戦争が勃発しました。その際、アメリカはフィリピンの独立に全面協力するという約束で、フィリピンに上陸します。その際に、アメリカとの仲介を行ったのが革命家、のちの初代大統領エミリオ・アギナルドです。そして、1898年6月12日フィリピンの独立を宣言しました。これが今日独立記念日とされる日です。

Emilio_Aguinaldo_(ca._1898)

アメリカ統治時代

独立に喜ぶフィリピン人でしたが、その喜びは束の間のものでした。同年12月に締結されたパリ講和条約で、スペインはアメリカにフィリピンの領有権を約2000万ドルで譲渡したのです。簡単に言ってしまえば、フィリピン人はスペインから独立したつもりだったのに、いつの間にかスペインはアメリカにフィリピンを売っていたということです。
さすがにフィリピン人は激怒し、米比戦争が勃発します。この戦いで、20万人の一般のフィリピン人が死亡したと伝えられています。

アメリカによる統治が続くなか1934年に独立法がアメリカ議会で成立し、1946年7月にフィリピンの独立が認められました。

日本軍による占領

そんな中、1941年に日本軍の真珠湾攻撃によって太平洋戦争が勃発します。念願の独立を目前に、次は日本軍による占領が始まってしまいます。アメリカ軍の総司令官マッカーサー将軍もあの有名な「I shall return」の言葉を残してオーストラリアに撤退してしまいました。
この際にマッカーサーと共に亡命したコモンウェルス(独立準備政府)初代大統領が独立の準備を進め1946年7月4日フィリピンはアメリカ合衆国から独立し、フィリピン共和国となりました。しかし、この独立記念日は、現在祝日にもなっておらず、あまり重要視されていません。

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植民地・統治・占領の歴史の中で・・・

以上のように、フィリピンの歴史は決して明るいものではありません。しかしながら、現代のフィリピン人はそれらの国々への怒りを抱くことなく、それぞれがもたらしたキリスト教、言語、文化、教育システムに感謝し、生きています。まさに「汝隣人を愛せよ」の言葉の通り、敵をも愛する広い心を持っているのです。
怒りを抱えてい生きていくよりも、愛を持って生きることの方が幸せであることを、フィリピン人が証明してくれています。

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