8月15日は日本の終戦記念日です。太平洋戦争の最中、この地・フィリピンのセブ島は激戦地となりました。

セブと言えばリゾート地のイメージが先行する場合が多いですが、たくさんの戦跡が残っている場所でもあります。たとえば、観光地として有名なサンペドロ要塞は太平洋戦争時、日本軍が捕虜の収容所として利用していました。また、サンペドロ要塞の目の前に広がる独立広場には日本語で書かれた慰霊碑があります。このように歴史を紐解いていくと、太平洋戦争時に様々なことが起きたとわかります。

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特攻機が飛び立った地・セブ

太平洋戦争末期に神風特別攻撃隊が編成され、特攻が行われていたことは知られていますが、その零戦の一部がセブから飛び立っていたことは意外に知られていません。1944年10月21日にはかつてセブ市内に存在したラホグ飛行場から神風特攻隊の零戦が出撃しています。ちなみに、このラホグ飛行場は現在では、ITパークというセブの一大経済特区でありビジネス街となっています。

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ITパークのゲートのかかっている道が、かつての滑走路です。

72回目の慰霊祭

そのラホグ飛行場から飛び立った零戦が撃墜された場所に、現在ではセブ観音と呼ばれる日本とフィリピン両国の戦没者を悼むための観音像が建立されています。8月15日には毎年、セブ日本人会の主催で慰霊式が行われ、今年も100人を超える参列者の中、盛大に挙行されました。太平洋戦争時にセブで何が起こったのか、セブ観音の由来などのお話や、参加者全員による献花と焼香も行われ、平和の尊さについて改めて考えさせられる時間でした。

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夏のスタディーツアーの参加者の皆さんにも献花・焼香をしていただきました。

許すということ

72年間でフィリピン人の日本人に対する感情は大きく変わりました。今では、フィリピン人は日本人を丁寧にもてなしてくれます。今朝も、ハバルハバル(バイクタクシー)で移動しようとしたところ、「Are you Japanese?」と尋ねられ、そうだというと、「おはようございます!」と満面の笑みで言われました。今では日本人へのマイナスイメージはありません。これはフィリピン人の「許す」というメンタリティーが大きくかかわっているのでしょう。罪を許して、新たな関係づくりをしようというたくさんの努力によって、現在の日本人とフィリピン人の関係性があるのだと思います。

次の世代へ

過去にどんなことが起きたのかということは次の世代へと語り継がれていかなければなりません。私たちも平和の尊さ・素晴らしさを伝えていく必要があります。また、DAREDEMO KIDSは日本についてもっと知りたい!と考えています。日本についてのたくさんのことを教え、子どもたちからはフィリピンについて教えてもらい、相互に深く理解しあうことで、日本とフィリピンのよりよい関係づくりができるようになればいいなと思います。

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